※以下は、株式会社NAC星野農場長のブログ記事(2021年8月21日)です。
農業の『最適化』とは?
前回の続きを書いていきます。
前の記事を読んで下さった方は、考えてみてくださったでしょうか?
【『農業の最適化』について。】
今回の記事も、決して正解ではないですし、それどころか私自身もまだこれだ!というものがあるわけではありません。
せいぜい『こうなっていったら良いんじゃないのかなぁ』程度です。
その点をご承知の上で、更に言えばご自身でもお考えになりながら呼んでみて下さい。
※追記※
…と、書き始めの時には私なりの『農業の最適化』案があったのですが、書いていく内にそれを書いてもなんかチープになるというか、話の流れがきれいに納まらないと思ったので今回は私の考えは書かずに、【考え方・視点】についてだけ書いて終わりにしました。
コレ!という結論が無い記事となっておりますが良かったら読んでみて下さい。
【無農薬だとかはひとまず置いといて】
『これからの農業』について、どうなっていったら良いでしょうか?という問いをされたときに一番出て来そうな答えは『オーガニック』とか『無農薬』『安心安全』という言葉ではないかと思います。
世間一般、マスコミやSNSなどでもよく言われている言葉なので、それが多くなるのは不思議ではないと思います。
もう少し、勉強されている方なら『自然農』という言葉も出て来たり、あるいは『持続可能、サステイナブル』といった言葉もでてくるかもしれません。
あるいは『スマート農業』『ドローンやAIの活用』『植物工場』という言葉を上げる人も要ると思います。
【単純な話ではリアリティがついてこない】
物事をわかりやすく、更におもしろおかしく伝えるにはある程度、というかかなり情報を絞って、例外などは含めずにまとまった話にしなくてはいけません。
その為、世の中にでている記事、情報には偏ったものが多くなります。
一見、データに基づいていて真実や現実的な問題点を挙げているように見えるモノでも、データの取り方、集計のやり方、そしてその見せ方で印象は全然変わってきてしまします。
物事の真実・リアルが書かれているように見えて、
実は『書き手が伝えたいことが書かれている』だけなのかもしれません。
私たちは権威やデータという言葉に弱く、特に自分の知らない分野のことについては、その道のプロ、権威がデータに基づいた話をしていれば、それが真実なのだとすんなり受け入れてしまいます。
思考停止して、それが本当だという風に受け入れた方が楽なので、特に情報過多の現代ではそうなりがちです。
『プロがデータに基づいてする話』ならまだ良いのですが、
ネット上の誰が言ったかもわからないようなデマですら、
真実だと思って拡散してしまう人が沢山いるくらいですから…
それくらい、真実というものはわかりにくく伝えにくい、広がりにくいものであり、逆にわかりやすいデマは一瞬にして多くの人に広がったりもします。
なんの話をしているんだ?と思われていそうですが、この事を踏まえた上で、先ほど挙げた
オーガニック、無農薬、スマート農業、AI活用、自然農、持続可能性
といった言葉やそれらを掲げている人たちの話を考えてみて下さい。また、その全く逆の事も考えてみて下さい。なんとなく聞いたことがあって、なんとなく良さそうだと思ったかもしれませんが、もう一歩踏み込んで考えてみて下さい。
【状況は人それぞれ、世界各国、地域や文化、気候風土でまったく変わる】
さて、ようやく本筋に話を戻しまして、『農業の最適化』について考えていこうと思います。
上述の文章で言いたかったのは、『現実はそんなにシンプルにはいかない』ということです。
いろんな状況の人たちがいる以上、その人にとっての最適は変わってきます。
ここでのポイントは『理想』ではなく『最適』という所です。
私の思う『理想』を言えば、
世界中の人たちが環境と調和が取れて持続的に生産が出来るオーガニックな農産物を食べられること。
…ですが、これは現在の人口や社会の形態、農業の技術や業態からして現実的とは言いがたいです。仮に産業革命以前くらいの文明レベルまで世界中が戻ったとしたら持続的でオーガニックな農業にならざるを得ないと思いますが、それでは現在の世界人口賄えるかが難しいですし、それでもやろうとすれば世界中の殆どの人々が農耕に従事しなくてはなりません。
そして食事は非常に質素なものとなります。
可能だとしても、そんな生活はイヤだという人が圧倒的多数になるでしょう。
なので、『可能』ではなく『現実的に』というところもポイントです。
つまりは、社会全体、そして個々人での『落としどころ』、『妥協点』を見つけていくことが農業の『最適化』を考える上で必要なことになります。
【社会と世界、そして個人の都合の『妥協点』それが共有できたなら…】
さてさて、このブログ始まって以来一番、訳のわからない話になってしまったかもしれませんが、なんでこんなことを書いているかというと、こういった考え方・視点を持つ人が増えていかないと、個人の欲求や怠惰という感情によって、生じてしまう犠牲があまりにも大きくなってしまっていると思ったからです。
究極的に、みんなが問題を共有できてそれを改善解決していこうという気持ちと行動が起きれば、農業や食だけでなくありとあらゆるモノがスゴイスピードで最適化されていくんじゃないかと思います。
でも、それが出来ないのが私たち人間です。人間性の問題とかではなく、そもそも知らないから。だから考えたこともないだろうし、こんなことをいきなり聞いても何の話なのかさっぱりわからない。
かくいう私自身も、自分が知っている・興味の有る分野以外の社会問題には無知です。
そんな中で、世界中全員ではないにしても、多くの人に、意味までは伝わっていなかったとしても言葉だけでも広がった『SDGs』というのは、1つの成果なのかもしれません。
こうしたことの積み重ねで少しずつでも、考える人、興味を持つ人が増えていくことで少しずつ世界は変わっていくのだと思うからです。
今回の記事も、そんな流れの助力になればいいなと思って書いてみました。
さて、もう締めの言葉っぽいことを書きましたが、結局『農業の最適化』について具体的にはまだ書いていません。
最初にこの記事を書こうと思った時にはある程度イメージしていた私なりの考えがあったのですが、ここまで書いてみてそれをここに書くのは、なんだか流れとしておかしく思えてきたので、今回は書かずに終わります。
ここまで読んで下さった方なら、きっとご自身で考えられると思います^^
それではまた次の記事で。